日本イラストレーター協会

会長ご挨拶


会長 蟹江隆広

私は岐阜県の多治見市という地方の田舎町で生まれ育ちました。普通の進学校を卒業後に関西大学工学部機械工学科に入学しましたが、何かやりたいことと違うと感じていました。自分が本当にやりたいことは何かと考え、昔得意だった絵を描きたいと思いました。とりあえず通信教育でイラストの勉強を始めました。趣味で始めたイラストですが、だんだんイラストを職業にしたいと考えるようになりました。

大学の勉強には身が入らなくなり、卒業のための単位も全然足りないという状態になっていました。私は卒業を諦め4年で中退して、イラストの勉強のために渡米しました。アメリカ西海岸 のサンフランシスコで暮らすようになりました。移民のための無料で受講できる学校があり、その学校に入学しました。私はその学校で世界各地から集まっていた移民の方達と大勢友達ができました。

サンフランシスコは気候は温暖で街並みが美しく、ずっと住んでいたいと思っていました。本場のポップアートを見たいと思い渡米しましたが、経済的な理由もあり、アートカレッジに入学もできず、そのままでは目標のイラストレーターになることは難しいと考え帰国しました。

帰国後、上京してアルバイトでお金を貯め、25歳の時に東京デザイナー学院の商業デザイン科に入学しました。当時エアーブラシを使用した新しい感覚のイラストレーションがブームになっていました。アメリカでも人気が高かったペーター佐藤さん、PARCOの広告で一世を風靡した山口はるみさん、アメリカのロックグループ”Earth, Wind & Fire”のアルバムジャケットなどで人気が出た長岡秀星さんなど、スターイラストレーターが大勢出てきていました。それからエアーブラシを使用したスーパーリアルイラストがブームになりました。私もそのようなイラストレーターの人達に大きく影響を受け、私もリアルなイラストを描きたいと思うようになりました。

東京デザイナー学院を卒業後、私は大日本印刷の中にあったエアーブラシの工房で写真修正などの仕事をしました。帰宅してからイラストの作品を描き溜め、2年くらいの間にある程度作品が溜まったので、工房から退職してフリーのイラストレーターになりました。しかしすぐに仕事があるわけではありません。新聞の求人広告などでイラストレーター募集の広告があれば電話して、アポを取り作品を抱えて面接に行きました。当時はイラストレーターの社員募集は非常に少なく、あってもチラシのカットを描く程度でしたから、私のやりたいこととは違いましたので、外注で使ってくれる会社を探しました。10件電話して作品を見てくれる会社は1件程度、作品を見てくれても、継続して仕事を発注してくれる会社はさらに1/10程度でした。2年間フリーランスのイラストレーターとして頑張りましたが、だんだん貯金が底をついてきました。

結婚して子供ができたのを期に求人広告で見つけたイラストの会社に就職しました。その頃からバブルの絶頂期に突入することになります。私はその会社でリアルイラストを専門に任されていました。リアルイラストは描くのに手間暇がかかりますから、どうしても残業が多くなります。手を入れれば入れるほど完成度が上がりますから、時間を忘れてのめり込んで描いていました。週2~3日は会社に泊まり込むようになり、だんだんと身も心も家庭もボロボロになっていきました。2年間務めた会社を退職して私は再びフリーになりましたが、私を気に入ってくれていたお客様も少なくなかったので、フリーになってからも忙しい状態が続きました。イラストの会社を設立してからしばらくは順調に仕事が増え、売り上げが伸びていきました。

しかしそのような時期は長く続きませんでした。やがてバブルが崩壊して、売り上げが急落していくことになります。クライアントもだんだんと支払いが渋くなっていきました。 イラストの料金を巡ってトラブルも増えていきました。クライアントの担当者の指示に従い指示通りに仕上げても、担当者の上司や依頼元のお客様からクレームがあると、末端のイラストレーターにしわ寄せがいくという状態でした。不当な言いがかりをつけて、支払いを拒否するクライアントも出てきました。

当時はそんな時に相談できる機関が見当たりませんでした。話し合いが決裂して、裁判になることが何度かありました。そのような経験を経て、私は立場が弱いイラストレーターの味方になる組織の必要性をひしひしと感じるようになりました。1995年頃から急速にインターネットが普及し、1999年に私はイラストレーターのための団体の設立を実現しました。コツコツと活動を続けるうちに、だんだん私の活動に共感してくれるイラストレーターが増え、おかげさまで日本を代表するイラストレーターの団体として認知されるようになりました。

日本イラストレーター協会では毎年世界的なイラストのコンペを開催して、世界中から才能のあるイラストレーターを発掘し紹介してきました。それからイラストレーターの仕事を評価して、イラストレーター・オブ・ザ・イヤーや部門賞を授与してきました。またコンペの受賞者や年度賞の受賞者、その他世界的に活躍されている各国の一流イラストレーターの作品をまとめた作品集を出版してきました。今まで見たこともないような世界中の優れた作品がこの1冊に詰まっております。この作品集には海外のイラストレーターも大勢収録されていますので、また新しい発見があることと思います。広告業界や出版業界の方たちはもちろん、そのような業界以外の方たちにも十分に楽しめる作品集になっております。ぜひ手にとって、お楽しみいただければ幸いです。作品集はこちらで立ち読みできます。

日本イラストレーター協会は常に世界を意識しています。欧米やアジアの会社などとも何度か取引できました。今後も日本のイラストレーターが海外に羽ばたくお手伝いができれば幸いです。また見たこともない海外のアーティストを日本のクライアントに紹介し、仕事がうまく運ぶようコーディネートにも力を入れていきたいと思います。コーディネートのご依頼はこちらから。

略歴

1955年 岐阜県多治見市で生まれる。
1977年 関西大学工学部機会科を4年で中退して渡米。
サンフランシスコで2年間アートや英語を学ぶ。
1981年 東京デザイナー学院商業デザイン科に入学、2年間デザインとイラストを学ぶ。
1983年 レベル工房入社(大日本印刷内エアーブラシの会社)
1985年 レベル工房退社後フリーのイラストレーターに
1987年 (株)シュガー入社(イラストの会社)
1987年 日刊工業新聞広告賞金賞受賞
1988年 日刊工業新聞広告賞金賞受賞
1989年 日刊工業新聞広告賞銀賞受賞
1989年 (株)シュガー退社後再びフリーに
1990年 イラストの制作会社有限会社クレア設立後、組織変更し15年間株式会社クレア代表。
1999年 日本イラストレーター協会設立し理事長に就任。
2004年 (株)クレアの代表取締役を降りる
2006年 200 Best Illustrators Worldwide 2006 選考委員(オーストリア)
2007年 Society of illustrators U.S.A.会員に認定される
2007年 200 Best Illustrators Worldwide 07/08 選考委員(オーストリア)
2008年 ZEN展(東京都立美術館)優秀賞受賞
2009年 200 Best Illustrators Worldwide 09/10 選考委員2010年(オーストリア)
2010年 200 Best Illustrators Worldwide 11/12 選考委員(オーストリア)
現在まで、日本イラストレーター協会の代表として数々の活動を主導

主な仕事

・ギャガコミュニケーションズ映画「エルム街の悪夢」ポスター
・JALパンフレット見開きイラスト多数
・三菱農機カレンダー用のイラスト6点
・JRパンフレット表1と表4
・セガ ゲームソフトパッケージ
・エニックスゲーム ソフトのポスターおよびパッケージ
・ドイツ「ラフェンスブルゲール社」ジグソーパズル2点
・セントラルホビー ジグソーパズル(海洋アート、スーパーマリオ、など多数)
・テンヨー ジグソーパズル(ディズニーなど多数)
・工学社「ウインドウズDTP」 表紙1年間12点
・単行本の表紙 多数
・科学雑誌ニュートン 見開きイラスト他多数
・CDジャケット ランバダ他多数
・ガンダムシリーズのカード絵など 多数
他、広告分野や出版分野などで多数のイラストを手がける。

Website: https://illustratortk.wixsite.com/takahirokanie